映画 「宮松と山下」を観て
不思議な味わいの映画を観ました。静かに淡々と物語はすすむのに、観客は「あれっ? あれっ?」と、この作品のもつ多重性に翻弄されます。面白かった~。では、あらすじを紹介します。
宮松は端役専門の、中年のエキストラ俳優だ。来る日も来る日も、名もなき登場人物を生真面目に演じ、斬られ、射られ、撃たれ、画面の端に消えていく。映画の中で、真面目に殺され続ける宮松の生活は、派手さはなく慎ましく静かな日々。エキストラの収入だけだと生活ができないので、ロープウェイで働いている。そんな宮松だが、実は彼には過去の記憶がなかった。
なにが好きだったのか、どこで何をしていたのか、自分が何者だったのか。
なにも思い出せない中、彼は毎日数ページだけ渡される「主人公ではない人生」を演じ続ける。
ある日、一人の男が宮松を訪ねてきた。「君はかつてタクシーの運転手をしていた。本当の苗字は山下だ。12歳ほど年下の妹がいる」と男に教えられる。そして妹とその夫との共同生活が始まり、「またタクシーの運転手になろうかな」などと考える。
覚えのない実家内に散在する、かつて宮松の手に触れたはずのもの。やがて宮松の記憶に変化が訪れる。
この映画の醍醐味は「宮下とはどんな人? つまり山下とはどんな人?」と観客自身が考えていくところにあります。キーワードから探ってみます。
○ エキストラについて
エキストラとは、誰が演じてもいいが、誰かが演じなければいけない存在です。宮松が好んでエキストラを演じていたのは、自分が誰かがわかっていないから、自分にピッタリだと思い選択したのでしょう。
○ ロープウェイ
ロープウェイで働いているのは、それが、宮松にとって記憶のない宙ぶらりんの己の存在と似ていて、心地よく感じたからです。アイデンティティーの不在を暗喩しています。
○ タクシーの運転手について
タクシーの運転手は、客の指定でどこでもタクシーを走らせる。そこに自分の意志はありません。そんなところに気楽さを感じているようでした。寄る辺ない己の環境からの選択と思われます。
そして物語は、優しさに包まれた切ない終わりを迎えます。興味のある方は是非、観てください。
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