「母をたずねて三千里」考
私は1976年に放映されたテレビアニメ「母をたずねて三千里」は日本人が作った物語だと思っていました。主人公のマルコ少年がアルゼンチンで音信不通になってしまった母親を訪ねて、ジェノバから南アメリカの奥地にまで一人で旅をして、ついに愛する母親に会うことができたというお話しです。
この勘違いは「三千里」という表現が原因です。箱根八里という唄もありますが、「里」というのは日本特有の距離単位です。「母をたずねて三千里」などという題名を外国人は付けられないと思ったのです。
しかし、イタリア人作家エドモンド・デ・アミーチスの「クオーレ」という原作がありました。翻訳して最初に日本に紹介したのは、杉谷代水(すぎたに だいすい)(1874~1915)です。明治35年(1902年)、その中の一篇「アペニン山脈からアンデス山脈まで」を「母をたずねて三千里」と題して訳しました。
もっとも短編の作品を1年にもわたるテレビアニメにしたのですから、設定変更や大幅の加筆が行われおり、日本人による(監督 高畑勲 脚本 深沢一夫)オリジナル作品といっても、“当たらずとも遠からず”です。
ところで「1里」とは3927.3mです。つまり「三千里」とは1万1782㎞です。マルコ少年が、ジェノバから南アメリカの奥地にまで旅をした距離とだいたい一致しています。
今日の切り絵は日本風味の「母をたずねて三千里」です。
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