映画『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』を観て

この映画の原作は、アガサ・クリスティーの名探偵ポアロシリーズの『ハロウィーン・パーティー』です。本で読んだことがあります。原作に忠実と言われるデヴィッド・スーシェ主演のテレビ版も観たことがあります。原作を大きく改変し、ほとんど別作品だと思いました。登場人物も違うし、殺人の動機も被害者も違う。舞台もイギリスの片田舎から、イタリアのベネチアに変更されています。ただ原作のもつ、「ゾクッとする怖さ」は映画版も同じだなあと思いました。では映画のあらすじを簡単に紹介します。

第二次世界大戦終結から2年後の1947年。一線を退いたポアロは、“水上の迷宮都市”と称されるイタリア・ベネチアで静かな日々を送っていた。ある日、友人の探偵作家より「死者の声が話せる」という霊能者のトリックを暴くことを依頼されたポアロは、子どもがたくさん集まるハロウィーンパーティに招待され、かの霊能者が主催する降霊会に参加することになった。

降霊会に集まったのは、1年前に亡くした娘との接触を望む依頼主の夫人をはじめ、それぞれ悩みを抱えたような面々。やがて天候が悪化してしまい、屋敷から身動きができなくなる中、その霊能者が人間には不可能と思われる方法で殺されてしまう。さすがのポアロにとっても、これほど不可解な事件は初めて。果たして、これは人間の仕業?それとも亡霊の悪戯なのか。ポアロ自身も命を狙われ、事件は思いがけない展開へと進んでいく。

この映画は隠遁生活を送っているポアロの生活を描くことから始まりました。彼は、あまりにも多くの殺人事件を解決し、二つの大戦を経験し、人間の残酷さを目の当たりにしてきました。「もういい、もうこの世界に関わりたくない」と思ったのでしょう。『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』は、そんなポアロの再起を静かに描いていました。一種の心理スリラー、ホラーミステリーの映画ですが、後味は、前向きな未来を感じさせてくれるものでした。

映画を観ていて、シェイクスピアが17世紀初頭に書いた悲劇:マクベスの冒頭シーンを思い出しました。"Fair is foul, and foul is fair.(きれいは汚い、汚いはきれい)"ですね。美しい怖さを感じました。さすが監督・主演のケネス・ブラナーです(彼は世界的なシェイクスピア役者です)。そして作品を通じて、人生に対する深い洞察を示してくれています。

最後に生前、原作者のアガサ・クリスティーが残した2つの言葉を紹介します。

・「私は66の作品の中で161人殺してきたけど、私自身は生きることが大好きなの」

・「私は生きることが好き。時にひどく絶望し、激しく打ちのめされ、悲しみに引き裂かれたこともあったけれど、それでもそれら全てを通して、私はやはり生きていることはすばらしいことだとはっきりわかる」

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