愛する対象について
文藝春秋3月号に「文芸春秋が報じた世界の肉声」という特集がありました。興味深く、少しショックな記事でした。その一部を紹介します。
例えば、次の日記は誰が書いたものかわかりますか?
「わたしは動物が好きだ。ことに犬が大好きだ。けれどもたとえばボクシングの選手が好きだ、という意味で好きなのではない。もっとずっと深い気持から好きなのだ。もし今新しく、犬を飼うとしてもコリーの、それもメスにきまっている。それ以外の犬を飼うことは、前に飼ったそれと同じ犬に対する裏切りのような気がして、とうていできない」。彼はウサギ狩りに興じる部下たちには、こう語る。「罪もないウサギやキジを殺さなけりゃ、どうして息ぬきができないものだろうかね? 君たちは生き物を殺す楽しみで目がくらんでいる。ウサギがどんなことを言っているか、わからないのは幸いなりというものだ」。彼は動物保護法を作り、動物虐待を禁じている。
答えは、アドルフ・ヒトラーです。一方でナチスは強制収容所でユダヤ人を虐殺していました。罪なき人々の命を奪いながら、動物を保護する。これ、どういうことなんでしょう。
ロシアのプーチン大統領も愛犬家として知られています。そして、野生動物保護を訴え、アザラシの赤ちゃんの狩猟を禁止にしました。一方でウクライナ侵攻を指示し、ロシア軍は民間人をも殺害しています。
この二人の価値の置き方は間違っています。倒錯しています。
私は愛犬家です。そして彼らが愛犬家であることを知り、ショックでした。
「そういうこともあるよ」と言われれば、そうかもしれませんが、やはり納得できない自分がいます。
人間以外の生物に愛情を注げる者が、非人道的な行為をすることができる。認めたくありません。
今日の切り絵は『困った顔のきゅうちゃん』です。きゅうちゃんもさんちゃんも、みんなが仲良しの状態が大好きです。
0コメント