映画『THE WHALE』を観て

まずはあらすじを紹介します。

主人公のチャーリーは40代の教師だ。同性の恋人アランを亡くしたショックから、現実逃避するように過食を繰り返してきた。そして今や体重は272キロ。重度の肥満症だ。大学のオンライン講座で生計を立てている。肥満症で歩行器なしでは移動もままならないが、頑なに入院を拒み、アランの妹で唯一の親友でもある看護師リズに頼っている。

彼はある日、病状の悪化で自らの余命が幾ばくもないことを悟った。病名はうっ血性心不全。あと一週間も生きられないだろう。時間がない。チャーリーは、離婚して以来、音信不通だった17歳の娘エリーとの関係を修復しようと決意した。「疎遠だった娘との絆を取り戻したい」。ところが家にやってきたエリーは、学校生活と家庭で多くのトラブルを抱え、心が荒みきっていた。

チャーリーの家はまるでゴミ屋敷だ。この映画は、月曜日に始まり、金曜日にチャーリーがこの世を去るまでの5日間に屋敷内で起こる出来事を描いている。登場人物はわずか5人。皆、懸命に生きようしているが、皆、孤独だ。人生のどこかで小さな脱線を起こし、どこかズレた人生を送っている。

チャーリーとその娘のエリーは、既に述べたとおり。

チャーリーの元妻でエリーの母親であるメアリーは、思いやりのある女性だが、アルコールに溺れることが多く、いささかエキセントリックだ。

看護師のリズはチャーリーを懸命に介護するが、それは自身のトラブルから目をそらす手段のようだ。

偶然訪れた新興宗教の神父は、チャーリーに末法思想を熱心に説くが、ピント外れで有難迷惑だ。

皆、根は善人で、他者をケアしたいという欲求があるが、簡単に物事はすすまない。

金曜日、チャーリーの最期のとき。彼は杖も使わず、力を振り絞って、二本足でまるで白鯨(THE WHALE)のように立ち上がった。あたかもクジラの海に還る準備のように。


さて感想です。この映画における、西洋文化や宗教観の理解は、私たち日本人には難しいと思いました。米国の小説家メルヴィル(1819~1891)の小説「白鯨」を事前に読んでおくのは役に立つと思います。

日本人の私が、この映画を観て、思い出したのは夏目漱石の代表的な小説「吾輩は猫である」と「こころ」の一節です。この二つの小説と「THE WHALE」と物語の展開には共通点があると思います。

「吾輩は…」の最終章と「THE WHALE」における金曜日の展開は似ています。日本の“擬人化された猫”は淋しさについてこう言います。「呑気と見える人々も。心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」。

「THE WHALE」のチャーリーは、娘のエリーと分かり合え、全ての苦しさから解放されるかの如く、海に還るように天国に旅立ちます。「吾輩は…」の最終シーン。猫は「ありがたいありがたい」と言って溺れ死にます。捨て猫だったこととか、辛いことを色々経験しているため、死こそが全てから解放される術と、猫は思ったのでしょう。

もう一つは「こころ」です。語り手の「私」と「先生」との交流がこの小説において大きなウェイトを占めます。あるとき、「先生」は「私」にこんなことを言います。「貴方も淋しい人なんじゃないですか」。「THE WHALE」もチャーリーの家に訪れる4人の淋しい人間との交流を描いています。

この映画「THE WHALE」が私たちの語りかけるテーマは、上記の二つだと私は思いました。

「呑気と見える人々も。心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」、そして「貴方も淋しい人なんじゃないですか」。

おうちカフェ さんちゃん

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