藪の中
「真相は藪の中」という言い方があります。真実は当事者でないとわかりません。関係者が本当のことを言うとは限りません。自分を守ろうとしたり、「世論」や「誰か」や「組織」におもねったり…。
さて、この「藪の中」という言葉の語源は、今から100年前(1922年)に芥川龍之介が書いた小説『藪の中』にあります。一級のミステリーだと思います。最近読み返してその思いを新たにしました。ただ残念なことは、舞台が平安時代で、登場人物の職業や来歴がわかりにくいです。というわけで、徹底的に現代風にして、この物語のあらすじを紹介してみます。
藪の中で男の遺体が発見された。殺人事件だ。裁判官から関係者が聞き取りを受けている。各人物の証言の要点は以下のとおりで、矛盾点だらけである。真相はまさに藪の中だ。
① 林業従事者
偶然、藪の中で被害者の遺体を発見しました。周囲は荒れ果てていました。
② 旅の途中の僧侶
旅の道中、被害者とその妻とすれ違いました。そのとき、被害者は弓や刀を持っていました。
③ かつて罪を犯したことのある警察官
私が容疑者を捕まえました。容疑者は、被害者のものと思われる弓と刀を持っていました。
④ 被害者の妻の母親
優しい婿でしたので残念です。今は、娘がどこに行ったか、心配で心配で仕方がありません。
⑤ 容疑者
被害者の妻に一目惚れし、我が物にしようと手ごめにしました。女は「夫とあなたが戦って、勝った方についていく」と言うので、被害者と戦い、刺殺しました。戦っているうちに女は逃げました。
⑥ 被害者の妻
容疑者が去ったあと、夫に「俺を殺せ」と言われました。夫の言葉に従い、小刀で夫の胸を刺しました。夫を殺したのは私です。
⑦ 被害者本人の霊
妻が容疑者に「私の夫を殺して」と言いました。容疑者が私に近づいてきた隙を見て、妻は逃げました。私は絶望感に苛まれ、落ちていた小刀で自分の胸を突き、自殺しました。
苦い読後感です。世の中には、芥川龍之介の研究者はたくさんいますが、「真実は…だ」という学術的結論は出ていません。芥川龍之介が緻密に計算したミステリーは難解。まさに「真相は藪の中」です。
7人の証言がありますが、みんなが主人公に成りたがっているようです。⑤容疑者、⑥被害者の妻、⑦被害者本人の霊。この3人は「自分が殺した」とか「自殺した」とか、罪や所業を認める不利益等より、自分を良く見せることに重きを置いています。①~④の人物たちの証言も、原文を読むと、自己顕示欲ばかりが目立ちます。
そういう利己的な発言(証言)が、事実を分かり難くさせるのは、古今で同じですね。
今日の切り絵は、『藪の中』を再読したときに作りました。今月、ロフトに飾ってあります。
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