映画『銀河鉄道の父』を観て

宮沢賢治とその父・政次郎の評伝劇です。感動的な映画でした。では最初にあらすじを紹介します。

賢治は、質屋を営む裕福な政次郎の長男として生まれ、跡取りとして大事に育てられた。しかし賢治は、「質屋の仕事は弱い者いじめだ」と言い、継ぐことを拒んだ。農業や人造宝石に夢中になり、父・政次郎と母・イチを振り回した。やがて「宗教に身を捧げる」と東京へ家出してしまう。

そんな中、賢治の文学的素養の一番の理解者である妹のトシが結核に倒れた。当時は不治の病だった。賢治はトシを励ますために、一心不乱に物語を書き続け、読み聞かせた。だが願いは叶わず、みぞれの降る日にトシは亡くなった。

「トシがいなければ何も書けない」と慟哭する賢治に、「私が宮沢賢治の一番の読者になる」と、再び筆を執らせたのは父・政次郎だった。「物語は自分の子供だ」と打ち明ける賢治に、「それなら、お父さんの孫だ。大好きで当たり前だ」と励ます政次郎だった。

やがて賢治は執筆と畑仕事を両立した。ようやく自分の道を見つけた賢治だったが、トシと同じ運命が降りかかる。結核に罹ってしまったのだ。日増しに悪化していく病状。今際の際、政次郎は必死に励ました。「おれもとうとう、お父さんに褒められたもな。ありがとがんした」と言い賢治は息絶えた。「雨にも負けず 風にも負けず…」。政次郎は賢治の魂を呼び戻すかのように、あの有名な詩を詠い始める。


さて、宮沢賢治とはどんな人だったのでしょう。法華経に心酔していた賢治は、落ち込んでいるときは、自分をデクノボーと言います。心昂ったときは救世主と言います。

賢治には二つの側面があります。どうしたら全ての人が幸せになれるか、そんな遠大なテーマを追いかける賢治。もう一つは裕福な家に育ち、そして病弱。一生親からの経済的援助を受け続けた賢治。

農民に援助を惜しまないにもかかわらず、貧しい農民との感覚のズレを埋められない賢治もいます。

「だらしないな」と思います。「経済的自立が最初だろうに」とも思います。半面、生き方に憧れを感じます。

彼は何者? 童話を書いたから童話作家。詩を書いたから詩人。学校に勤めた時期もあるから先生。農民に効率の良い方法を教えたから農業指導者。星や天体について専門的な知識があるから天文学者。山登りが好きで鉱山研究家…。そう彼はなんでもやった人です。

結婚はせず、一人で生きて、ユートピアを夢見て、好きなことをして、人のために生きようとして、それで一生を終えた人です。

誰しも「~になろう」と思います。そのために努力をします。そして何かになり、人生を生きます。

私が賢治に魅力を感じるのは、彼は、なににもなれなかった、全うできなかったところです。言い方を変えれば、なににでもなろうとしたところです。これは凄いよ、人の生き方としては。

賢治の精神を支えたのが、父・政次郎です。この映画のタイトル『銀河鉄道の父』は素晴らしいと思います。

最後に劇中、死にゆく賢治の横で、父・政次郎が詠んだ詩『雨にも負けず』を現代表記に変えて、その全文を書きます。

雨にも負けず / 風にも負けず / 雪にも夏の暑さにも負けぬ / 丈夫な体をもち / 欲はなく / 決して怒らず / いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と / 味噌と少しの野菜を食べ / あらゆることを / 自分を感情に入れずに / よく見聞きし / わかり / そして忘れず / 野原の松の林の影の / 小さなかやぶきの小屋にいて

東に病気の子どもあれば / 行って看病してやり / 西に疲れた母あれば / 行って稲の束を負い

南に死にそうな人あれば / 行って怖がらなくてもいいと言い / 北に喧嘩や訴訟があれば / つまらないから止めろと言い

日照りのときは涙をながし / 寒さの夏はオロオロ歩き

みんなに『デクノボー』と呼ばれ / 誉められもせず / 苦にもされず / そういう者に私はなりたい

おうちカフェ さんちゃん

こんにちは!「おうちカフェさんちゃん」です。皆様が気楽でのんびり過ごしていただけるお店です。季節の移ろいを丸窓から眺めながら一息つきに来てくださいね。

0コメント

  • 1000 / 1000