ある審理
先日、ある審理を傍聴しました。具体的に審理の内容を書くことは控えます。
個人が大きな組織と争うことは、世の中にそんなに転がっていません。「どうせ…」と諦めることが多いだろうし、悔しさをお酒にかき混ぜて、くだを巻いて終わりというというのがほとんどだと思います。
私は、人は虐げられたら闘うべきだと思います。そういう行為が、世の中からなくなったら危険です。
詩人で文学者の金時鐘(きんししょう 1929年~)さんは以下のように語っています。
『加虐、しいたげる側の顔というものは存在しません。加虐には顔がないのです』。
その審理を傍聴していて、思い出した言葉です。
審理のなかで、当事者の大きな組織の方々は、ただの一度も発言をしませんでした。全て代理人が行っていました。彼らは傍聴席で推移を眺めていました。
審理の結果を見守りたいと思います。
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