映画『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』を観て
この映画は、無実の黒人が白人警察官に殺害されるまでの90分間を描くリアルタイム進行形サスペンスです。事実に基づいた作品です。恐ろしく、力強く、悲しみが詰め込まれた傑作です。名優モーガン・フリーマンが製作総指揮です。彼は「法執行官が、いかに間違った対処をしているかという事実を広めることに、本作は最良の作品です」と語っています。人種差別の醜さと精神疾患への偏見を真正面から取り上げています。ではあらすじを紹介します。
2011年11月19日午前5時22分、アパートの一室にひとりで暮らす黒人男性、元海兵隊員のケネスの医療用通報装置が作動した。70歳近いケネスは、心臓に問題があり、躁うつ病も患っている。妄想癖もある。この日は、就寝中に誤って装置を作動させてしまっただけなのだが、通報先の会社の担当者はそうとは知らず、安否確認を手配。3人の白人警察官が派遣されてくる。
ケネスは、警察官が玄関ドアを叩く音で目を覚ましたものの、以前、泥棒に入られた経験から怖くなり、扉を開けることができない。やっとのことで、ドア越しに「緊急事態ではないから、帰って欲しい」と伝えるが、既に警察官たちは、本部から「部屋に入って安否確認をするように」と指示を受けた後だった。警察官たちは、ドアをなかなか開けないケネスに不信感を抱いた。しびれを切らし、差別的な表現でケネスを侮辱する警察官もいた。扉を閉ざすケネスと、何としてでもそれを破ろうとする警察官たち。事態はどんどん悪いほうへ転がった。午前7時前、ケネスはドアを壊して入ってきた警察官に撃たれ、死亡した。
警察官を見たら、「助けてくれる」と安心する人は多いと思います。大部分のケースにおいて、それは正しい判断です。彼らは概ね真面目な人間です。では、なぜこんな悲劇が起きてしまったのでしょう。人種差別の醜さと精神疾患への偏見だけが、その理由でしょうか。
加えて、状況を悪化させたのは、警察官たちの「指示ありき」の対応だと私は思いました。「部屋に入って確認しないと、怒られる」という理由で、ドアが開くまで待つしかない警察官たち。それがいつしか「ドアを開けさせる」ことが一番の目的になってしまいました。そうしないと沽券に関わると言わんばかりに固執していきます。爆音を立て、暴力に訴え、心臓疾患と躁うつ病、妄想癖を患っている者を追い込んでいきます。この警察官たちは「上からの指示だから、仕方ないよ」と思います。命令に忠実な人たちだから、組織の論理を、個人の人権より優先させることを「仕方ないこと」と割り切ることができます。勤勉なだけで、ハートのない人間の「仕方ないよ」という呟きのしたで、犠牲になる人はたくさんいます。
警察組織だけではなく、官民を問わず、あらゆる組織に見られる現象だと思います。
程度の差こそあれ、このような悲劇は、この日本にも、私たちの身の回りにもあります。繰り返される過ちは、どうすればなくなるのでしょう。なぜ、一歩を踏み出せないのでしょう。なぜ、良心を貫けないのでしょう。何が怖いのだろう。何を守ろうとしているのだろう。この映画は、自分たちが生きる社会を誠実に見つめ、きちんと考えるきっかけを与えてくれます。
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