映画『枯れ葉』を観て
(あらすじ)
孤独さを抱えながら生きる女と男がいた。女の名前はアンサ、男の名前はホラッパ。フィンランドのヘルシンキで、アンサは理不尽な理由から仕事を失い、ホラッパは酒に溺れながらもどうにか工事現場で働いていた。ふたりはカラオケバーで出会い、名前も知らないままに惹かれ合う。だが、不運な偶然と現実の過酷さが、彼らをささやかな幸福から遠ざける。果たしてふたりは、再会を果たし想いを通じ合わせることができるのか。幾つもの回り道を経て、小さな灯火で照らすような結末に辿り着く。
(感想)
巨匠、アキ・カウリスマキ監督の作品です。この映画の登場人物は貧しく、カツカツの生活です。職場も住まいも殺風景。皆、寡黙で無表情です。滅多に笑顔を浮かべません。そんな映画なのに心に響きます。それこそが彼の作品です。人生の秋を迎えた男女のロマンスに、希望を感じさせてくれます。
アンサとホラッパは貧しい1人暮らし。ラジオのニュースからはウクライナの戦争が伝えられるので、現代が舞台だとわかりますが、家の電話は固定電話。シンプルな1960年代の生活のようです。
映画が始まってすぐ、2人とも仕事をクビになります。アンサはスーパーで働いていましたが、賞味期限切れのために廃棄する食品を、ホームレスの男に渡しているところを見つかり、即座にクビ。ホラッパは工事現場勤務ですが、職場で隠れて酒を飲み、クビ。
貧しく、孤独な2人です。アンサの部屋にホラッペが訪れることになり、彼女はスーパー食器を一組買います。今まで、訪れる人もいなかったのでしょう。観ていて「本当に孤独なんだな」と伝わります。
2人は不器用です。デートで初めて観に行った映画はジム・ジャームッシュ監督のゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』でした。「映画でこんなに笑ったのは初めて」とアンサは的外れの感想を言います。映画館の前で「また会おう」とホラッペは言い、電話番号を書いた紙をもらいますが、直後に紙を落としてなくします。
カウリスマキは、いつも貧しい人の暮らしを描いてきました。救いとユーモアが彼の作品の特徴です。
労働者の社会を描くというと、社会派の作品のように、社会の不公正に対する怒りを表現する映画を連想しますが、カウリスマキは違います。出てくる人は不愛想な人情派です。最後には、現実にはあり得ない幸せが舞い降り、厳しい現実と思いがけない幸福が一つになることが、この監督の作品の魅力です。
口下手な主人公たちの心をどうやったら映画で表現できるでしょう。普通、演技やセリフで伝えますが、彼の映画では皆が無愛想です。それでも気持ちが伝わるのは、映画のなかに歌があり、その歌詞によって心の奥が言葉にされているからです。
映画の冒頭、アンサはロシアのウクライナ侵攻のラジオニュースにうんざりし、チューニングを変えます。変えたあとにかかった唄は、なんと日本の民謡『竹田の子守唄』でした。こんな唄ですね。
「守もいやがる 盆から先にゃ 雪もちらつくし 子も泣くし」
「守もいやがる」。つまり子守りの仕事にうんざりしている様子が描かれます。雪が降ると、赤ん坊も寒さに泣き、世話が大変です。自分も幼い身なのに、親元を離れて働く少女の辛さを表現しています。寂しさや苦しさが冬をより厳しく感じさせます。日本人以外にわかるのかなあ。アンサの孤独と貧しさ、ロシアのウクライナ侵攻の悲惨さを表現しているように、私には思えました。
カウリスマキは自身のことを唯美主義者(美に最高の価値を置き,これを芸術の目的とする立場)と言います。この映画『枯れ葉』もそのとおりです。審美眼を試されているような気分になりました。
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