映画『ティル』を観て
(あらすじ)
1955年。アメリカ南部では、人種隔離制度がまだ残っていた。なかでもミシシッピ州には特に根強い黒人差別が蔓延っていた。そこに北部の大都市・シカゴから14歳のエメット・ティルという黒人少年が訪れた(北部に差別がなかったわけではない)。母親のメイミーが南部の出身で、その郷里を訪ねて、親戚の家に滞在するのが目的だった。
ある日、ティルは現地の友人たちと、地元の食料雑貨店に行った。その店は白人の夫婦が営んでいて、店主の妻に向かって、エメット少年は「キレイだね」と言い、軽く口笛を吹いた。するとその後、その場にいなかった夫である白人店主が妻からその話を聞いて「生意気なやつだ」と大変腹を立てた。
店主は弟とともにその4日後、少年エメットを拉致して、リンチを加えた挙げ句、銃で撃ち抜いて、川に死体を遺棄した。酷い殺人事件だ。
母親のメイミーは悲しみの中で、一つの決断をした。息子の葬儀の際、メディアを呼んで棺の蓋を開け、その無残な姿をあえて公開した。それがセンセーションになり、世論を味方に付けていった。「人種隔離制度が残る世の中はどうなんだ」と疑義を呈する運動が実っていく。
裁判になった。結果として、殺人者たちは、全員が白人の陪審団によって無罪になってしまう。いろいろな人たちの目撃もあったにもかかわらず、それは好ましくない振る舞いをした黒人少年に対しての白人たちからの懲罰であると判断された。懲罰であって殺人ではない。陪審団はそういう判断をした。
結果は残念だったが、メイミーが泣き寝入りせず闘ったことが、多くの黒人たちの意識を変えた。そして、その後の公民権運動の発展に多大な影響を与えた。
憎悪犯罪をリンチ罪で起訴する法案が、"エメット・ティル反リンチ法“として成立したのは2022年のことである。エメット・ティルという黒人少年が殺されてから、67年もの歳月を要した。
(感想)
母親のメイミーは、息子への愛と彼の思い出への慈しみから闘うことを決断しました。しかしこの時代、アメリカでは黒人が、白人に対して訴えを起こすことは大変危険でした。
メイミーは、息子に何が起こったのかを世間に知らしめるために、あえて、変わり果てたエメットの顔を見えるように棺を開いて葬儀を行いました。その甲斐あり、メイミーを守り、サポートするために、多くの心ある黒人が尽力し始めました。大変勇気ある行動でした。
訴訟のとき、メイミーはこう言いました。「どこかで起きている悲劇は、全員の問題なのです」。
この感動的な作品は、個人の問題は、社会全体の問題と切り離せないことだと語りかけます。正義を求めて闘う人間の尊い姿を見ることで、私たちは真実を求める大切さを知るのです。
このことは、日本にも言えることだと思います。他者の問題は自分にも影響します。そして自己のことをだけを考えるのは、ここに存在する意味を否定することです。
「勇気を持たなければいけない」、「歪んだこととは闘わなくてはいけない」、「不当に誰かの権利が奪われるのは、自分の権利が奪われるのと同じだ」と強く思いました。
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