久しぶりに『山月記』を読んだ!

「若いうちに読んでおいたほうがよい小説は何?」と聞かれたら、私は『山月記』と答えます。中島敦の文体がとても綺麗です。綺麗すぎて読み辛いです。なので、ここでは、なるべく読み易くして、あらすじを書きます。主な登場人物は「李徴(りちょう):秀才であるが非情な自信家」と「袁傪(えんさん):李徴の旧友である監察御史(かんさつぎょし:高級官僚)」です。

唐代の中国、若くして科挙(難関の公務員試験)に合格した李徴は、役人として働いていた。博学で才能だ。それゆえの自尊心の高さから、俗悪な上司にへつらうのが嫌で、役人を辞め、詩家(文学者)として名を残そうと考えた。

数年が過ぎたが、名は上がらず、妻子を養えないほど困窮した李徴は、平凡な公務員の職に就いた。しかし、バカにしていた、かつての同僚たちは出世し、今の李徴はその命を聞く身。屈辱に耐えられなくなった李徴は気が狂い、姿を消してしまう。

翌年、高級官僚の袁傪とその部下たちは、旅の途上で一匹の虎に襲われる。その虎の正体は、旧友の李徴であった。李徴は「虎になった理由はわからない、日に日に人の心が保てなくなりつつある」と言う。そして、李徴は袁傪に「人でなくなってしまう前に、私の詩を後世に残してほしい」と頼む。

そして、即席の詩を書きとらせた後、李徴は「虎になってしまった理由は、自分に才が無いことが露呈することを恐れ、人々から遠ざかった“臆病な自尊心”と“尊大な羞恥心”である」と告白する。

別れ際、李徴は袁傪に残された妻子のことを頼む。そして、「妻子よりも、詩業の修業を優先するような男だから獣に身を堕とすんだ」と、自嘲しながらも虎になってしまった理由を話す。

茂みの中から聞こえる悲涙の声に、袁傪もまた涙し、李徴のもとを後にする。やがて丘の上に着き、振り返った袁傪が見たものは、一匹の虎が茂みから躍り出る姿だった。虎は月を仰ぎ、吠えると元の茂みに躍り入り、再び姿を現すことはなかった。(完)

「“臆病な”自尊心と、“尊大な”羞恥心」という言葉が印象的です。

本来なら、「尊大な自尊心」であり、「臆病な羞恥心」のはずです。前についている形容詞が逆です。そしてそれこそが、李徴が「虎になった理由」なのです。

「臆病な自尊心」とは、プライドが高いため失敗して傷つくのをひどく恐れる心理であり、「尊大な羞恥心」とは、自尊心を守るために他者との関係・コミュニケーションを拒絶する状態です。

李徴は、自分の自信過剰さと、周りの評価がついてこない不安から、精神が折れ、後戻りができない程の歪んだ心理状態になってしまいました。

「なんでも話せる友だち、もしくは正直に話せる配偶者、そんな人が一人でもいれば、こんなことは起きなかったのに」。久しぶりに『山月記』を読んだ感想です。

今日の切り絵は、「山月記」の虎です。

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