異邦人(カミュ)を読んで

この数年で、繰り返し読んだ小説があります。フランスの小説家アルベール・カミュ(1913年~1960年)の『異邦人』(1942年)です。まずはあらすじを紹介します。

第一部

アルジェリアに暮らす主人公ムルソーの元に、母の死を知らせる電報が施設から届く。母の葬式のために施設を訪れたムルソーは、涙を流すどころか、特に感情を示さなかった。

自宅に戻ったムルソーは、海水浴場で元同僚マリイに再会する。その後、二人は映画を見て、親密な関係を持つ。これはすべて、母の葬式の翌日に起こっている。

ムルソーは隣人のレエモンから「情婦が家に居座り、金を要求するんだ」と相談される。 ムルソーは、レエモンに協力し情婦を追い出す。 そのことが理由で、レエモンは情婦の兄を含めたアラビア人の集団に付きまとわれるようになる。

ある週末、ムルソーは、レエモン宅に招待される。そのとき、アラビア人が現れ、喧嘩が起こる。運良く、ムルソーがレエモンの拳銃を預かっていたので発砲沙汰にはならなかった。

その後、ムルソーは一人で海辺を散歩に出掛けた。すると、先ほどのアラビア人の一人がいて、ムルソーに刀を向けた。 ムルソーは激しい暑さを感じ、太陽の光から逃れようと一歩前に進む。そして拳銃でアラビア人を殺害した。

第二部

ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。裁判では、母親が死んでからの普段と変わらない行動を問題視され、人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾される。裁判の最後では、殺人の動機を「太陽のせい」と述べた。死刑を宣告されたムルソーは、「懺悔をしたほうがいい」と促す司祭を監獄から追い出し、死刑の際に人々から罵声を浴びせられることを、人生最後の希望にする。

さて、この題名の『異邦人』という言葉は、聖書にしばしば出てきますが、ざっくり言えば、神を信じない人をさします。

この物語のなかで、ムルソーは「どうでもいい」と何度も言います。「仲間にならないか」と言われても、「どうでもいい」。出世を持ちかけられても、「結婚をして」と言われても、「どうでもいい」。人は信じるものが何もなくなったとき、「どうでもいい」と言うのだと思います。その気持ちは、よくわかります。人は宗教のみならず、コミュニティーでも、勤め先でも、周囲が信じられなくなったとき、『異邦人』になります。

この本は「太陽がまぶしかったから人を殺した青年の話」ではなく、「人を殺した理由を『太陽がまぶしかったから』と説明しなければならなかった青年の話」です。

今日の切り絵は、太陽を見上げる異邦人です。

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