【芥川賞受賞作】「荒地の家族」(佐藤厚志 著)を読んで

ずしっとした読後感が残りました。「荒地」とは、東日本大震災の被害を受けた土地のこと。現在もそこに住む人々の物語です。読んでいて辛くなりましたが、それでも読んでよかったと思いました。多くの人たちの生き様や死に様が描かれますが、ここでは主に、①主人公と息子の関係、②主人公と旧友との関係の2点について紹介していこうと思います。


主人公の祐治(ゆうじ)は40歳。宮城県で植木職人をしている。10年前、植木屋として独立した直後に災厄が起きた。生きるために、植木に関係ない仕事も引き受け、生計を立てている。

最初の妻は肺炎で亡くなり、再婚した妻は家を出て行った。祐治は、母と息子(最初の妻との子)と一緒に暮らしている。小学校高学年の息子は、祐治を避けるようになった。ヘッドホンをしたり本を読むことで、祐治との会話を拒絶した。釣りに誘っても、「寒いから」で一蹴。それでも、息子の成長だけが、祐治の唯一の生きる希望だった。

ある日、息子が鉄棒から落ちて頭に怪我をした。学校から連絡を受けた祐治は、病院へ向かった。息子の無事を確認したのち、事故の原因が、鉄棒での危険な遊びだったと知った。もし頭を打っていたらと想像すると、混乱して涙がとまらない。祐治は、「ばかやろう」と息子に大声を出した。息子は父親である祐治の頭にそっと手を置いた。

祐治には明夫という幼なじみがいた。若い頃の、女性を巡る恋愛関係のもつれから疎遠となっていたが、最近しばしば顔を合わせるようになった。明夫は祐治に、露骨に不遜な態度をとる。祐治は関係修復を試みるがうまくいかない。明夫は厄災で妻と娘を失っていた。それ以降、仕事もうまくいかず、職を転々としている。今は大病を患っているが、そんな体にもかかわらず、ケチな密漁に手を染めている。転落の人生だ。明夫は自殺をした。そして自死の直前、明夫は祐治を含め、近しい者に「両手一杯のさくらんぼ」を配っていた。最期に見せた明夫本来の人間性。「みんなで食べて」という言葉とともに明夫は逝った。


さて感想などです。一つ目は言葉の使い方、もう一つは印象に残った文章について書きます。

○ 言葉の使い方

作品では「震災」という言葉は使っていません。「津波」という言葉もありません。「震災」は「災厄」となり、「津波」とは書かず「膨張する海」となっています。これについて作者の佐藤さんは、「震災」とか「津波」という表現は、被害を受けた人たちに不快に刺さる可能性があると述べています。作品には佐藤さんの体験が色濃く反映されています。

○ 印象に残った文章

『元の生活に戻りたいと人が言う時の「元」とはいつの時点か、と祐治は思う。十年前か。二十年前か。一人ひとりの「元」はそれぞれ時代も場所も違い、一番平穏だった感情を取り戻したいと願う。』

文学史に残る素晴らしい文章だと思います。元の生活とは、東日本大震災の前の生活も暗喩しているでしょうが、それにとどまりません。この文章が出てくる直前に描かれた出来事は、震災とは関係ないものでした。平時の日常の中でも、私たちは大切なものを喪失するときがあります。どうしようもなくつらい現実に、呆然と立ち尽くすことがあります。「それでも生きていけ。救いがなくても生きていけ」とこの小説は私たちに語りかけます。

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