映画『生きる LIVING』を観て

1953年公開の黒澤明監督の名作映画「生きる」を、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本によりイギリスでリメイクしたヒューマンドラマです。ではあらすじを紹介します。


1953年、第2次世界大戦後のロンドン。公務員のウィリアムズは、自分の人生を、空虚で無意味なものに感じていた。書類を無感情に処理し、終業時間になると判を押したように帰宅する日々。妻には早くに先立たれ、間もなく定年を迎える孤独な男だ。そんなある日、彼はガンに冒されていることがわかり、医師から余命半年と宣告される。手遅れになる前に、充実した人生を手に入れたいと考えたウィリアムズは仕事を放棄した。そして海辺のリゾート地で酒を飲んで馬鹿騒ぎをした。しかし満たされない。

ロンドンへ戻った彼は、かつての部下と再会する。彼女はバイタリティに溢れていた。そんな彼女と話すうちに、自分も新しい一歩を踏み出すことを決意する。

「そうだ、お役所仕事で、たらい回しにしていた公園造りに僅かな余生を懸けよう。自分の手で地域に公園を造って、市民や子どもたちに楽しんでもらおう」。彼は人が変わったように働き始める。

果たして公園は完成した。公園の評判は上々だ。役所では「この公園建設は私の手柄だ」と言う偉い人に溢れた。本当はウィリアムズの功績なのに…。

そんななか、雪が降りしきる夜更け。ウィリアムズは自分の造った公園のブランコに揺られ、穏やかな微笑みたたえ、スコットランド民謡『ナナカマドの木』を口ずさみながら息絶えた。


舞台を日本からイギリスに変え、しかも70年前の映画のリメイクです。「あの時代から社会は何も変わっていないのではないか?」と考えさせる物語です。官僚主義の悪しき普遍性を指摘しています。

カズオ・イシグロ脚本の『生きる LIVING』と黒澤明監督の『生きる』を比べてみたいと思います。2つの映画の違いは挙げればいくつもありますが、ここでは、『生きる LIVING』と『生きる』の主人公が物語中で唄った曲の詩について書こうと思います。

○ 『生きる LIVING』(イギリス)  ・・・ 映画の字幕から

「ナナカマドの木」 スコットランド民謡

ああナナカマドの木よ いつも懐かしく思い出す 幼き日の思い出に 優しく寄り添う木

春の初めに葉を開き 夏の盛りに咲き誇る これほど美しい木があろうか…

○ 『生きる』(日本)

「ゴンドラの唄」 作詞 吉井勇

いのち短し 恋せよ少女 朱き唇 褪せぬ間に 

熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日の ないものを

死の目前の、いわば同一人物が、微笑みを浮かべながら唄った歌です。

イギリス版では「子ども頃に、優しく寄り添ってくれたナナカマドの木を思い出すよ。春には春の、夏には夏の美しさ。あんな美しい木があっただろうか」とかつての自分の幸せの日々を唄います。

日本版では「命は短いのだから、少女たち、唇の朱色が褪せないうちに恋をしなさい。熱い気持ちが冷めないうちに恋をしなさい」と初老の男が少女たちに、生きる喜びを説く歌を唄います。

共通しているのは、「人生の最期を知り、人生を輝かせた人間」が充足感を感じながら唄ったということです。


映画『生きる LIVING』を観終わった帰り道、種田山頭火(俳人1882~1940)のこんな一節を思い出しました。

「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでいることはさみしい。けれど、一人で歩き、一人で飲み、一人で作っていることはさみしくない」

おうちカフェ さんちゃん

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