何といっても今日はこの唄! 『背くらべ(作詞 海野 厚)』

童謡『背くらべ』の歌詞は100年以上前の1919年に作られました。今回はこの唄の謎(?)について探ってみたいと思います。まずは歌詞と意味を書きます。心の中で唄ってみてください♪

(歌詞)

柱のきずは おととしの 5月5日の背くらべ ちまき食べ食べ 兄さんが計ってくれた 背のたけ

きのうくらべりゃ 何(なん)のこと やっと羽織の 紐(ひも)のたけ

(意味)

柱の傷は一昨年の5月5日に背比べをした傷 ちまきを食べながら兄さんが背の高さを測ってくれた

昨日と比べれば何ということはないが やっと背の高さが、兄の羽織の腰ひもの高さにまでなった

謎① なぜ「柱のきずはおととし」で「去年」ではないのか?

私は「メロディーに『おととし』でないと乗らない。『去年』だと字足らずになるから」と思っていました。ブブーです。いつもとおり私の思い込みは間違っていました。この唄は、端午の節句にお兄さんに身長を計ってもらった子どもの視点で描かれています。実は、歌詞の中に登場する「兄さん」とは、作詞者の海野厚さんです。海野さんが、17歳年の離れた末の弟さんの視点で歌詞を描いたと言われています。なぜ「柱の傷はおととしの」なのかと言いますと、東京に上京していた海野さんが、「去年」の端午の節句の頃には結核を患っていて、静岡県の実家に帰って来られなかった。そして弟の背の高さを測ってあげられなかったからです。

謎② 「きのうくらべりゃ 何のこと やっと羽織の 紐のたけ」の意味がよくわからない。

前半の「きのうくらべりゃ 何のこと」はわかりやすいです。一日でそんなに背が伸びるはずがありません。後半の「やっと羽織の 紐のたけ」についてです。前述のとおり作詞者の海野さんと末の弟さんの歳の差は17歳です。当時、23歳と6歳の兄弟です。弟が「やっと兄ちゃんの、結んである羽織の腰ひもの高さくらいまで身長が伸びたよ」と言っています。

優れた作詞家であり、優しいお兄さんである海野さんは残念なことに5年後の28歳のときに、結核でこの世を去りました。

今日の写真はウチの母屋の柱に残った、私の子どもたちの「柱のきず」です。いつか孫の「柱のきず」をつけたいと思います。

おうちカフェ さんちゃん

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