旧友とのひととき

大学に入学して剣道部寮に入ったとき、最もビックリしたのは「こんなにも剣道を好きな人がいるんだ」と知ったことです。私も子どもの頃から、ずっと剣道をしていましたので好きなほうだと思っていましたが、彼の熱心さは桁違いでした。普段、普通に歩いている姿より、剣道のすり足をしながら移動しているほうが多いのではないかと思いました。両手はしょっちゅう手刀です。なぜか小手を打つポーズをいつも繰り返していました。彼の剣道に対する執念は凄いと思いました。同期の者、全員がそう思っていたと思います。

高校のとき、国語の教科書に中島敦の小説『名人伝』が載っていました。主人公が弓の名人になるために尋常でない努力を重ねる物語で、所詮は寓話と思っていましたが、彼を知って「あながち寓話とは言い切れないかも」と思いました。『名人伝』のあらすじを以下に書きます。

主人公の紀昌(きしょう)は、天下一の弓の名人を志していた。そのため弓の名手である飛衛(ひえい)に入門し、長年にわたり厳しい修行をした。初めの2年は、瞬きをしない修行として、目前で機織り機を見つめ続けた。その結果、鋭利な錐で眼球を突かれようとも瞬きをしないような能力を得た。次の3年は、小さいものを見る修行として、遠くのシラミを見つめ続けた。その結果、シラミが馬の大きさに見える能力を得た。これらの修行の成果で、妻のまつ毛を気づかれずに弓で射抜ける技術を取得した。

修行を達成した紀昌は、師を倒すことで一番になれると考えるが、引き分けだった。向上心旺盛な紀昌に手を焼いた師は、「西に隠居する甘蠅(かんよう)という名人に習え」と助言した。甘蠅は弓を使わずに鳥を射落とすことが出来た。超人的な技に魅せられた紀昌は、9年間、そこで修行に専念した。

修行から帰ってきた紀昌は、「弓をとらない弓の名人」として有名になった。それどころか紀昌は晩年には弓の名前すら忘れていた。世間ではそれが名人の極みとされ、絵筆を持たない画家や、楽器を持たない音楽人などが増えた。

さて旧友に話を戻します。彼は大学を卒業してからも国体などに出場しました。伸び悩んでいた地方の大学剣道部の監督も務め、そのチームを全国大会上位で活躍するまでに育てあげました。今は某省庁で、各地を代表する剣道指導者たちを指導する剣道師範として辣腕を発揮しています。彼が厳しい修行を、己に課し続けたことは想像に難くありません。

学生の頃「彼は将来、紀昌のようになってしまうのではないか」とほんの少し思っていましたが、それは杞憂でした。「おうちカフェさんちゃん」に奥さんと一緒に来た彼は、温厚な気配りの人でした。仲の良いご夫婦でした。孫を愛す好々爺(こうこうや)を目指していました。

「で、最近は剣道の稽古はどうなの?」と聞いたら、もうすぐ還暦なのに、やっぱり凄い稽古量でした。「そうだよ、君はそうでなくっちゃ」とうれしく思いました。


今日の切り絵は昔の漫画『赤胴鈴之助』です。

おうちカフェ さんちゃん

こんにちは!「おうちカフェさんちゃん」です。皆様が気楽でのんびり過ごしていただけるお店です。季節の移ろいを丸窓から眺めながら一息つきに来てくださいね。

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