流行り唄
私が流行り唄に敏感だったのは、中学生になった頃から、高校生の半ば頃までだったと思います。昭和50年代前半です。街を歩くと、そこかしこから流行り唄が流れていたように思います。流行り唄はみんなのものだったような気がします。そのあと、ウォークマンという機器が現れました。ヘッドホンから自分の好きな唄だけいつでも聴けるので、とても便利でした。音楽がみんなの物から個人の物になる分岐点だったと思います。現在、音楽はもっと個人で楽しむものになりました。
昭和50年代前半は、吉田拓郎、井上陽水、チューリップ、アリスなどのミュージシャンが、多くのヒット曲を出し、また他人にも曲を提供するという活躍をしていた時期でした。一方、歌謡曲のジャンルでも、プロの作詞家、作曲家によって、「名曲」といわれる作品が量産された時代でもありました。
最近、YouTubeでその頃のヒット曲を好んで聴きます。若い頃はニューミュージック系の音楽を好んで聴いていました。シンガーソングライターの歌詞は、等身大の自分を描いたり、自分の気持ちをストレートに綴ったものが多く、当時の私にとってなんとも魅力的でした。でも歳をとり「当時の歌謡曲も負けずにいいなあ」と思うようになりました。特に歌詞が興味深いです。
中学生になった年。昭和51年(1976年)の日本レコード大賞授賞曲は『北の宿から』(歌手 都はるみ)でした。歌詞:「あなた変わりはないですか 日ごと寒さがつのります 着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます 女心の未練でしょう あなた恋しい 北の宿」。演歌でしっとりした歌詞です。
一方、同じ年にピンクレディーが『ペッパー警部』でデビューしています。歌詞:「ペッパー警部 邪魔をしないで ペッパー警部 私たちこれからいいところ」。女の子が警官に言い放つ、潔い言葉が見事です。
共に歌謡曲の分野ですが、歌詞の世界は全く違います。最近知ったのですが、この2曲は同じ作詞家:阿久悠さんが作っています。これぞプロフェッショナルの仕事でしょう。プロの作詞家がヒットを狙い作り、ヒットさせています。時代を射貫く目と、老若男女を惹きつける力を感じます。
いろんなジャンルの流行り唄が、まだ街角から聞こえていた頃に、多感な時期を過ごすことができたのは幸せだったかもしれないとしみじみ思っています。
今日の切り絵は流行り唄の音符です。
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