映画『春に散る』を観て
沢木幸太郎の同名小説を再構築。佐藤浩市や横浜流星など豪華オールキャスト映画です。監督は瀬々敬久。迫力のボクシングシーンとともに豊かな物語性を併せ持つ力作でした。ではあらすじを紹介。
初老の元ボクサーの広岡は40年ぶりに故郷の地を踏んだ。引退後、アメリカで事業を興し成功を収めたが、不完全燃焼の心を抱えて突然帰国した。広岡は居酒屋で、胸を押さえビールで薬を飲む。その姿を、不公平な判定負けに怒り一度はボクシングをやめた若者の黒木が見ていた。広岡は店で騒ぐ若者を注意し、店を出た後に彼らに襲われるもパンチで倒す。興味本位で後からついてきた黒木も一緒に殴られた。ボクサーである黒木はこんなパンチ初めて受けたと驚く。
広岡は、かつて所属した真拳ジムを訪れる。かつて広岡に恋心を抱き、今は亡き父から会長の座を継いだ令子に挨拶する。その後、今は落ちぶれた仲間に会いに行く。そんな広岡の前に黒木が現れ、ボクシングの指導を受けたいと懇願する。広岡は断ったが、昔の仲間が「きちん走れるようになったら考えてやる」という条件を出した。練習し、テストに合格した黒木は、広岡の指導を受けることになった。
広岡は深刻な心臓疾患だ。医師から手術を受けるよう勧められるが、結論は先延ばしにしていた。
広岡は黒木を連れて真拳ジムに行き入会を頼んだ。そこで、期待のボクサーの大塚とスパークリングをしてダウンさせてしまった。「ウチのジムには合わない」と令子からジムに入るのを断られた。
黒木は別のジムで練習を再開した。ある日、広岡は大手ジムの会長から、「黒木と大塚が対戦し、勝った方が世界チャンピオンである中西対戦するのはどうか?」と提案を受ける。広岡は当て馬だと拒否するも、黒木の試合がしたいという熱意に押され承諾する。接戦ながらも、大塚戦では黒木が勝った。
そんなある日、黒木は目に違和感を感じる。黒木の目は網膜剥離になっていた。中西との試合で失明する危険がある。広岡は試合を反対し、黒木はそれでも試合をしたいと言う。2人は対立した。
年末、広岡は除夜の鐘を突くために並んでいると胸を押さえて倒れ、救急車で運ばれた。早期の手術が必要だ。病室、黒木は広岡の手を握り、「俺の親父になってくれよ」と涙した。2人の絆は深くなっていた。
(この先は物語の結末に触れています)
退院後、黒木の想いを受け入れた広岡は、中西との試合をサポートすることにした。
春になり、ついに中西との試合当日。黒木と中西は最終ラウンドまで死闘を繰り広げる。黒木の右目は腫れてもう見えなくなった。陣営はタオルを投げ入れるように勧めるが広岡は聞かない。
判定の結果、黒木が勝利した。その直後、黒木の目は本当に見えなくなった。
ベッドに横たわる黒木のもとで泣き続け、広岡を責める黒木の母。広岡は頭を下げるしかない。黒木は「自分が試合を望んだ。広岡さんは悪くない」と庇う。翌朝、黒木の目の手術が行われることになった。
病院の外に出た広岡を令子が待っていた。「桜が咲いているから見に行ってきます」と言って広岡はその場を離れた。翌日、満開の桜の木の下で広岡は横たわり、穏やかな表情で亡くなっていた。
私はこの映画を観て、F・T・トゥールのボクシングを題材とした中編小説集『ミリオンダラー・ベイビー』を思い出しました。名優でもあるクリント・イーストウッド監督のアカデミー賞4部門受賞の同名映画の原作が入っている本です。その中の『フィリーでの戦い』という中編小説の一節を紹介します。
『陣営のメンバーは「俺たち」と口にする。「俺たちは闘いに挑む」、「俺たちは勝つ」、「俺たちは打ち負かす」。彼らが「俺たち」というのは、ボクサーが闘っているときは、陣営の皆で闘っているからであり、ボクサーがパンチを受ければ、彼らもまたパンチを受けているからだ。皆で勝敗を噛みしめる』。
私は、ボクシングはもっとも危険で、もっとも美しい競技だと思っています。試合のたびに危険なパンチを受け続けるのに、チャンピオンになるまでの長い道のりを覚悟するのは崇高な精神だと思います。
F・T・トゥールは作家ですが、同時に広岡と同じくプロボクシングのトレーナーであり、広岡と同じく心臓疾患を患い、それが原因で命を落としました。
この映画では広岡は命を落とし、黒木は片方の目の視力を失いました。予想できたことです。無理をすることではありません。でもボクサー(人間)には、間違っていても、やってみないと収まらないことがあります。親子ほど歳の離れたトレーナーとボクサーは、危険を承知に「俺たちは闘いに挑む」と腹を決めました。彼らにとって幸せな激闘でした。だから広岡は穏やかな表情で最期の時を迎えたのだと思います。
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