これって志賀直哉の気持ちなのかなあ
お店のガラス扉から、外の道路を眺めていたら、10cmほどの黒い物体がモソモソ動いていました。「何だろう?」とガラス扉に近づくと、立派な黒い毛虫でした。
「車に轢かれないでね」と思った瞬間、軽自動車に轢かれ、毛虫はペシャンコになりました。「アッ!」。そして直後、続くトラックが再びその毛虫を轢き、タイヤにくっ付いてしまったのか、毛虫の姿が瞬時に消えました。
そのとき、日本の代表的な私小説のひとつ、志賀直哉の短編小説『城の崎にて』を思い出しました。
彼(志賀直哉)は、山手線の電車にはね飛ばされ重傷を負い、後養生のため城崎温泉を訪れています。そのとき、こんなことがありました。
石段の上に居たイモリを驚かすつもりで、彼は石を投げつけます。それが偶然イモリに直撃。イモリは死んでしまいました。その時に彼は、死とは偶然が司っているのだと気づきます。殺すつもりなどなく投げた石によってイモリは死にました。あと1センチ石がずれていたら、イモリは死ななかったでしょう。同様に、主人公の志賀は電車事故で偶然助かったものの、あと数センチずれていたら死んでいたかもしれません。このように、偶然によって死ぬ命と、偶然によって生かされる命があります。
そういった体験から彼は、生と死が密接なものであると悟ります。生と死は両極に位置するように感じますが、本当は隣り合わせだということです。それを彼は城崎での生活の中から気づくのです。
高校生のときに教科書で、この小説を読んだと思います。10代のときは、心に響かなかったけど、初老となり、今さら「そうかあ」と、実感とともに、志賀直哉の気持ちが分かったような気になりました。
今日の切り絵は、イモリです。
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