練度の高い正直さ
司馬遼太郎さんの未公開講演録「司馬遼太郎が語る日本」(1986年)のなかに、『練度の高い正直』という言葉があります。
抜粋して紹介します。
「正直さこそが、言語における魅力である。正直さの欠けた言語は、ただの音響にすぎない。日本人を不正直だとは思わないが、正直であろうとすることについての練度が不足しているように思う。ナマな正直はしばしば下品で悪徳だ。しかし練度の高い正直は、別のものである。相手との関係をフラットにし、安堵をあたえ、言語を魅力的にする。錬度の高い正直さを持つ人は、その人格が人々の心をとらえる。しばしば日本人は喋り下手だといわれているが、それ以上に、正直さに欠けているのではないか。政界のやりとりをみると、ついそう思ってしまう」。
そのとおりだと思います。正直にはレベルがあります。
例えば、誰かを陥れようと「あの人は失敗したことがある。嘘をついたことがある」と吹聴したとします。それは嘘ではないかもしれない。でも、誰でも失敗したことはあるし、嘘をついたことはあります。そして、そういった発言は、練度のとても低い正直だと思います。
今日の切り絵は、嘘をついて鼻が伸びたピノキオです。
0コメント