『ソクラテスの弁明』に学ぼう!
「政治家が、自身に関するお金の流れを弁明した」という新聞記事を目にします。
弁明とは、「説明を行い、物事を明確にすること」と「自分の事情や立場を明らかにすることで、相手の理解を求めようとすること」という二つの意味があります。「弁明」には、「言い訳する」や「言い逃れする」というニュアンスが含まれず、「ただ本当のことを話す」ことに重きが置かれます。
彼らの言葉は「弁明」でしょうか? 「弁明」という言葉が少し可哀想になりました。
ということで、今日は名著『ソクラテスの弁明』について紹介します。ソクラテス(紀元前470年頃~紀元前399年)は古代ギリシャの哲学者です。しかし彼が書いたわけではありません。彼は生涯、本を一冊も書いていません。弟子の哲学者プラトン(紀元前427年~紀元前347年)が記録したものです。
ソクラテスは70歳になった頃「若者を堕落させた」という罪状で告発されました。彼は裁判の場で罪状を否認するも、有罪が決まります。そのとき、ソクラテスは普通の被告人のように陪審員に命乞いをしませんでした。その態度が陪審員たちの怒りを買い、死刑の審判が下されました。
牢獄に捕らえられたソクラテスは、友人によって逃亡を提案されるも、その提案を拒否し、潔く自ら毒を飲み、死を迎えたと言われています。
命が助かるかもしれないのに、なぜ友人からの提案を受け入れなかったのか?
それは、ソクラテスが「善く生きる」ことを信条としていたからです。「ただ生きる」ことではありません。彼は不正に生き永らえるよりも、正義に則って生き、死ぬことに価値を置きました。
『ソクラテスの弁明』といえば、「無知の知」が有名です。ソクラテスは、“知恵があると思われている者”を訪ねて、問答をします。政治家、劇作家、詩人、技術者…。そして巧妙な論法で、衆人環視のなかでやりこめてしまいます。最後は「私は何も知らない。彼らも何も知らない。だが、彼らは知っていると思っている。だから、私は知らないと自覚している分、彼らより勝っている」と言います。
「ソクラテスは言い過ぎた」と私は思います。そこまで言う必要はないでしょう。これでは憎まれますね。彼もわかっていたようで、「私は多くの人から憎まれ、中傷と嫉妬の矢面に立たせれている」と話しています。
厄介な性格ですね。しかし、彼の「弁明」には、「言い訳」や「言い逃れ」はありません。「本当のことを話す」ことに重きが置かれます。現代人が、見習うべき「弁明」がそこにあると思います。
今日の切り絵は、ソクラテスの横顔です。
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