「あたまがよい」とか「悪い」とか

今日は物理学者、寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年~1935年)さんが今から90年以上前に書いた随筆を抜粋して紹介します。彼はエックス線に関する研究を行いました。また、震災に関する研究も多く、「天災は忘れられたる頃来る」などの言葉でも有名です。この随筆は「科学者としての心構え」とついて書かれていますが、人の生き方にもついても洞察に富んだ名文であると思います。

『科学者とあたま (寺田寅彦 1933年)』

「科学者になるには、あたまがよくなくてはいけない」という。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」ともいう。これについて考えてみる。

科学者には、正確で緻密な頭脳が必要だ。この意味ではたしかに「あたま」がよくなくてはならない。しかしまた、わかりきったと思われる日常茶飯事に潜む、不可解な疑点を発見するためには、物わかりの悪い、のみ込みの悪い、頭の悪い人でなくてはならない。

頭のいい人は、足の早い旅人のようなものだ。人より先に、目的地に行き着くことができる。しかし、途中の道ばたにある肝心なものを見落とす恐れがある。そして、足の遅い人、つまり頭の悪いが遅れて来て、その大事な宝物を拾って行く場合がある。

科学の歴史は錯覚と失策の歴史だ。偉大なる迂愚者(あたまの悪い人)の能率の悪い仕事の歴史である。

頭のいい人は批評家に適するが、行為の人にはなりにくい。すべての行為には危険が伴なうからだ。ケガを恐れる人は大工にはなれない。失敗をこわがる人は科学者にはなれない。利害に対して頭がよい人は戦士にはなりにくい。

頭のいい人には他人の仕事のあらが目につきやすい。そして他人のする事が愚かに見え、自分が誰よりも賢いというような錯覚に陥りやすい。そうなると向上心がゆるみ、やがてその人の進歩が止まってしまう。頭の悪い人には、他人の仕事がみんな立派に見えると同時に、また偉い人の仕事でも自分にもできそうな気がするので、向上心が刺激されることが多い。

つまり科学者は、頭が悪いと同時に、頭がよくなくてはならないのである。その認識不足が、科学の正常な進歩を阻害する。

最後に、頭のいい、年少気鋭の科学者が陥りやすい一つの錯覚について述べる。それは、科学が人間の知恵の全てであると考えることだ。科学は人の営みの一部に過ぎない。別の世界もたくさんある。それが事実だ。そういう事実を無視して、科学が全てだと思いあがるのは、愚かなことだ。人類の進歩の障害にもなる。

今日の切り絵は、うさぎとかめです。

おうちカフェ さんちゃん

こんにちは!「おうちカフェさんちゃん」です。皆様が気楽でのんびり過ごしていただけるお店です。季節の移ろいを丸窓から眺めながら一息つきに来てくださいね。

0コメント

  • 1000 / 1000