ふたつの田園交響楽
店番をしていて、誰もお客様がいないとき、クラシック音楽をかけているときが多いです。誰でも知っている有名な曲ばかりです。今日は、そんなときによく聴く「田園交響楽(1808年初演)」について書こうと思います。この「田園交響楽」という名前は、ベートーヴェンのクラシック音楽の題名とともに、小説の題名でも有名です。
小説「田園交響楽」のアンドレ・ジッド(1869年~1951年)はフランスの小説家で、ノーベル文学賞を受賞しています。彼は1919年に「田園交響楽」という小説を発表しています。こんな内容です、
身寄りもなく、無知だった盲目の少女ジェルトリュードを牧師は純粋な慈悲の心から引き取った。やがて彼女は、聡明な美しい娘に成長した。そしてついには牧師と妻のアメリ―、息子のジャック、そしてジェルトリュードの4人を巡る愛憎劇が展開されることになる。数年後、彼女は「真実を知りたい」という切な願いを牧師に訴えて視力回復手術を受けたが、視力を得た彼女は現実を見てしまった。ジェルトリュードは「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう」)というイエスの言葉をかみしめる。「目が見えるようになり、世の中の醜さが見えるようになった」と絶望して、物語は終わる。
この小説のなかに、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年~1827年)が作曲した「田園交響楽」について、以下の会話が出てきます。
盲目の少女は牧師に「あなたがたの見ていらっしゃる世界は、本当にあんなに(ベートーヴェンの田園交響楽のように)、美しいのですか?」と聞きました。「あんなにって言うのは?」。「あの“小川のほとり(第2楽章)”の景色のように」。牧師はオーケストラの各楽器の音を聴かせる事で、色の名とその色彩とを理解させようとしていました。そして聴覚という窓を通じて、少女の外界への認識は一挙に飛躍してゆくのです。
「美しい音楽の力は凄い」とジッドの「田園交響楽」を読んだとき思いました。
ベートーヴェンは、田園を好み、ウィーンでは近郊を歩き回り、夏には田舎に生活して大自然に親しんだそうです。彼のスケッチ帳には「森の中で―自分は幸福だ。樹々は語る。なんと素晴らしい」と書いています。そして彼は「田園交響楽」のスケッチの片隅に、「どんな場面を思い浮かべるかは、聴くものの自由に任せる。あらゆる光景は器楽曲であまり忠実に再現しようとすると失われてしまう。音の絵というより感覚というにふさわしい」とも残しています。
今日の切り絵は、子どものベートーヴェンです(こんなだったかな?)。
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