映画『でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男』を観て
(あらすじ)
2003年.小学校教諭・薮下誠一(綾野剛)は、保護者・氷室律子(柴咲コウ)に児童・氷室拓翔への体罰で告発された。体罰とはものの言いようで、その内容は聞くに耐えない虐めだった。
これを嗅ぎつけた週刊春報の記者が"実名報道"に踏み切る。過激な言葉で飾られた記事は、瞬く間に世の中を震撼させ、薮下はマスコミの標的となった。誹謗中傷、裏切り、停職、壊れていく日常。次から次へと底なしの絶望が薮下をすり潰していく。
一方、律子を擁護する声は多く、"550人もの大弁護団"が結成され、前代未聞の民事訴訟へと発展。誰もが律子側の勝利を切望し、確信していたのだが、法廷で薮下の口から語られたのは「すべて事実無根の"でっちあげ"」だという完全否認だった。これは真実に基づく、真実を疑う物語だ。
(作品に関すること)
「絶対に観よう」と心待ちにしていました。綾野剛さんや柴咲コウさんの演技、三池崇史監督の切れのある描写は素晴らしかったです。
そして、この作品は福田ますみさんのルポルタージュ『でっちあげ』を映画化したものです。原作(事実)のもつ力が、この作品を支えています。今日は個人的な体験を踏まえて、書いていきたいと思います。
この映画で描かれていることは、程度の差こそあれ、多くの教育現場で起きていることです。教員離れ(不足)が社会問題になっていますが、映画で描かれていた土壌(文化)もその理由のひとつだと思います。
私が、原作者の福田さんと初めて話しをしたのは、7~8年前のことです。当時、私は教職に就いていました。そして、近しい者がこの映画に描かれた担任教師のような立場に追い込まれました。マスコミにも大きく取り上げられました。やはり完全な「でっちあげ」でした。私は、その人を「守ろう」と思いました。でもどうしたらよいか、わかりません。大きな理不尽の激流に飲み込まれながら、個人で争うのですから、困難の極みだと思いました。
私は当時、既に文庫本で、『でっちあげ』を読んでいました。「福田ますみさんと話したい」と思いました。そして新潮文庫に電話しました。「“かくかくしかじか”で福田さんと話しをしたいのですが…」と編集部の方に伝えました。折り返しの電話をいただける可能性は低いと思いましたが、2~3日後に「福田ですが…」と電話をくださいました。
人は「どうせ抗っても押しつぶされる」とか「事を荒立てても、晒し者になるだけだ」と不本意を受け入れがちです。教員も同じでしょう。でも「間違っていることは間違っている」と言う人間を育てるのが、“先生の仕事”のはずです。自分で戦わないでどうする! この映画を観ていて、そのことを思いました。
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